2019/11/22

☆今日明日は岡山です

Tweet ThisSend to Facebook | by 新井 信隆

明日(2019年11月23日)から、岡山県の川崎医大で第47回臨床神経病理懇話会が開催される。

23日だけ参加するために、今日は岡山に行く予定であるが、岡山というと、自然に下記するようなことを思い出す


私新井が、はじめて神経病理学会に参加(発表も)したのは、1985年5月の第26回日本神経病理学会総会学術研究会だった。岡山大学病理の小川勝士先生が会長であった。


1985年5月は、翌月に横浜市大第二病理の助手になる直前の、2年の研修医生活の最後の月であり、横浜市大精神科の研修医として、オーベンの天野直二先生(前信州大学教授、現岡谷市立病院長)に、精神医学ももちろんのこと、神経病理の手ほどきもしていただいた。


1982年3月に横浜市大医学部を卒業してまもなく、ほとんど学生結婚と言ってもいいくらい、早めの結婚をして、翌年3月、その翌年6月に長女、長男の父になったので、初めての神経病理学会のときには、2歳、1歳の子供たちの父となっていた。

卒後研修は内科1年、病理半年、精神科半年。一体将来なにをやりたいのかわからない選択であったが、病理と精神科で、剖検例の脳を検索する真似事を繰り替えすことができた。その頃に、精神科の研究室で、寝泊まりして標本を作成して観察する日もあった。ただし、研究室とはいえ、横浜市大病院の前身のふるぼけた廃墟のような病院再利用の研究棟の1室であり、ほぼほぼ、深夜は肝試しのような感じであった。


そのような生活をしていたとき、たまたま、ある日の深夜、暗くなった研究室で小脳歯状核を顕微鏡下で観察して、何も知らないぺーぺーなのに、これはなんと綺麗なんだ、という思いを瞬時にいだいた時の記憶は、今も鮮明である。その観察対象は、今でいうグルモース変性であった。その夜は、丸椅子を4つくらい並べて、白衣姿で横になって、未明から朝までちょっとだけ睡眠をとったが、興奮して眠れぬ夜でもあった。

そんなこともあり、研修医のころから小脳歯状核ばかり、片っ端からたくさんの症例を覗き、その後、歯状核神経細胞のサイズや密度などを計測学的に調べて、Acta Neuropathologicaなどに発表することが出来たのだが、岡山での初めての発表(ポスター)は、その途中のプレリミナリーな発表だった。


1985年5月、神経病理学会の2日前、当時住んでいた横浜の小さな2DKのマンションから、妻、子供ふたりを車に乗せて、一路、静岡へ。妻の実家(静岡)まで3人を届けて、そのあと、新幹線で岡山入りする予定であったが、あいにく、すごい霧の日で、東名高速が通行止めになり、結局は、箱根などの山道を迷いながら、靄ですぐ先も見えない中、深夜に静岡に着くことができた。本来ならば、その夜に岡山入りする心算であったが、翌朝に新幹線に乗り、ほぼ1日遅れで岡山に到着した。


発表は、細胞計測したデータと数枚の写真をはった、寂しいポスターだったと思うが、突然、比較的恰幅のよい老齢の方に、ポスターの前で、声をかけられた。彼いわく「君は私の論文を読んだことがあるか?」。それからというものの、その方はひとりで私にいろいろ話されていて、私はなんのことやらさっぱりわからず、「はいはいそうですか」という返事を繰り返すばかりであった。


あとから先輩に教えていただいたのであるが、そのご老人は、東大脳研神経病理教授の白木博次先生であった。白木先生は、当時、大御所であったが(あとで知ったが)、歯状核病変にもたいへん興味を持っておられたようで、私の発表を気にいっていただいたようだ。しかし、文献のところに、白木先生の論文がないことを最初に気が付いたのは、白木先生ご自身であったわけである。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BD%E6%9C%A8%E5%8D%9A%E6%AC%A1


岡山というと、このようなエピソードが昨日のように思い出される。


さて、久しぶりに岡山入りした夜は岡山のソウルフード? 

最古参のラーメン屋のとんかつラーメン(かつそば)をいただいた!
似たようなものとしては、パイコーメン(パーコーメン、排骨麺とも)があるが、こちらは小麦粉をまぶしてあげる肉であり、食したかつそばのかつは、小麦粉であげた、まさにとんかつだった。

ということではあるが、なぜか、この記事は、ですます、ではなく、である体になってしまった・笑

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