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2020/07/10

◎函館下宿物語(1)◎

| by patho

中学2年のとき、横浜から函館に引っ越した。親の転勤のためである。家は某テレビ局の官舎で、400坪の土地に、100坪くらいの平屋の家。庭にはリンゴの木。バーベキューなどもよくやっていた。何不自由ない生活だった。そして高校3年の6月に、親達は、私を下宿に残して転勤のため、横浜に戻っていった。函館に残された理由は、もう少しで卒業だから、ということだったが、中学1年のときからの学費を払うことを躊躇したようである。下宿生活が始まる6月のある日、その広い自宅から高校にいつも通り登校し、午後早い時間、親が決めてあった賄い付きの下宿に初めて“帰宅”することになった。函館市時任町の片隅に、それはあった。

大家さんは、当時、70歳は軽く越えていると思われる老夫婦。おばあさんは小柄で優しそうな方だったが、おじいさんは、いわゆる明治の頑固親父、というような風貌だった。なんか疲れそうだな、とため息をつきながら玄関を入った私は、1階の台所兼食堂の向こう側の奥の部屋に連れてゆかれ、ここがあなたの部屋よ、と言われ、あっけにとられているうちに、背中のほうで、ふすまの扉がすっと閉まった。そのあとの静寂がどのくらい続いたか。

暗い。寒い、というよりは冷たい。6月なので、もう少し暖かくてもいいだろうし、昨日まで住んでいた家は、もっと暖かく、そして明るかった。それにしても、暗く、冷たい。一日中、陽があたらないような座敷牢のような部屋。思わず、親が運んであった段ボールの中のアノラックを着込んだ。親が高校での集団下宿説明会で、厳しそうな大家さんだから、ということで、ここの下宿にお世話になることを勝手に決めて、しかも、下見もなにもしていない。部屋も冷たいが、それ以上に、ずいぶん冷たい親だ。そのときの感情は、今もまったく変わらない。

これからどうなるのか。そして、急に押し寄せた空腹感。何か食べたい。何か飲みたい。が、何もない。家財道具といえば、身の回りの服や勉強道具が段ボールに入れられて届けてあるだけだった。もう、その日の昼に、親は函館を去っている。何てこった。腹が立つ。そして、その次に、またあの感覚。腹が減った。何か飲みたい。


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