いつもなら、リンゴが剥いてあったり、マスクメロンがあったり、食べるものに困ったことがなかったわけだが、一瞬にして、現実が変ったことを悟ったわけだ。とにかく、何か食いたい。夕食まではまだ長い。何か食いたい。その一心で、近くのスーパーに行ったが、手持ちの金との相談で、45円の食パン一斤だけを買ってきた。部屋に戻り、食パンに食らいつく。美味い、というより、ホットする。いや、ホットする、というより、美味いのだ。しかし、水分がないと、だんだん飲み込めなくなってくる。が、コップすら持ってこなかった。気の効かない薄情な親だ。そうは言っても何にもならない。ガラス製の大きなペン立ての中のペンを、机に放り出し、隣の台所の水道を捻り、水を一杯に入れて、部屋に戻り、一気に飲み干す。なにか、涙が溢れ出てくるぐらい美味く、そして侘しい感覚に打ちのめされた。食パン一斤をあっという間に、何もつけず、平らげたわけだが、あんなに、美味い水とパンを、いまだかつて食べたことがない、おまけに、あんなに寂しい薄くらい部屋で、独り。それも、数ヶ月後に襲ってくるオイルショックで、食パンが一気に3倍に値上がりすることも予見もできないまま。
もう陳腐な言葉だが、飽食の時代、と言われる。料理、グルメというと、なにか贅沢な響きがあるが、料理とは、食べて美味いと感じる生物学的な環境で自然と美味いと感じるものを提供することなのだろう。私の料理の原点は、あの時のパンと水にあったのかもしれない。乾いた砂に水が吸い込まれるよう、そんな状況を意図してキッチンに立つのが、料理の本質なのだろう。何も贅沢をすることはない。食材をその時に応じて、生かせばいいわけである。あの時のパンと水が、あの時の私にとっての、最高の食材だったように。
下宿生活をはじめた当初、何も家財道具というものがなかった。やがて必要になる石油ストーブは大家さん家のものを借りたのだが、晩秋になって寒くていられなくなって初めて使ってみたところ、芯が焼き切れていて煙しかでなかった。そのことを大家さんに言えばよかったわけだが、当時のワタシは遠慮がちだったのだろう、そのまま、使わずに一冬過ごしたのだった。