随想

 
 
随想 >> 記事詳細

2020/07/03

◎角館に降るカサブランカの雪◎

| by patho

その冬は、雪が多かった。3月、角館の温泉に浸かる旅も、案の定、大雪に見舞われた。

大雪の中のこじんまりした露天風呂。見知らぬ男が3人ほど入れば、気まずくなるような、そんな奴だが、幸い、冷気の助けによる湯煙が、視界を遮り、ひとりにしてくれている。雪のひとつひとつが、湯の波間に消えてゆくさま。吐息も白く、そして、疲れた“気持ち”にとっては、熱すぎる湯のせいか、体はまだまだ緊張から解放されない。見上げれば、目まぐるしく変る空の明暗。それはあたかも自分の日常の迷路のようでもあり、そこから乖離して、次第に湯の中で解凍され流れ出てくる昔の自分がいる。“ああ、自分は何をしてきたのだと・・・・”という青臭い詩人のセリフとともに聞こえてくる、諦観にも似た呟き、“もう十分・・もういいよ、このへんで・・・”。

こんな時、雪の降る囁きの声以外には聴こえないものだが、ふと、我に返ると、湯気の向こうから、少しフラット気味の鼻歌が聞こえるようだ。As time goes by、、、。まさか。昔にタイムスリップした丁度いま、その歌だけは、見知らぬおじさんの口からは聞きたくない。やめてくれないか。

ずっと若かった時代。深夜、ふとスイッチをいれたテレビから映し出されてきたのが、この歌が漂う映画、カサブランカ。洋画など見た事もないのに、セピア色の画面に引き込まれてゆく。初めての、そして懐かしくもある不思議な時間。ハンフリー・ボガードのボギーもよかったけれど、渋い男にしては声のトーンが高すぎる。一方、イングリッド・バーグマンのイルザの瞳の奥の視神経の眩しいほどの白さ。視神経など、眼底検査でもしなければ、解剖学的には見えるはずはないのだが、確かに白い、涼しい「視神経」が印象的だった。そんな目に見つめられて、やむなく歌い出したサムの“As time goes by”。あれからもう30年余。いつのまにか、そんな思い出も忘れてしまっていた。

雪の露天風呂。学生時代の雪の函館、近くの市電の音、足下の雪を踏みしめる乾いた雪の声、そして遠くの連絡船の汽笛。そんな情感を思いださせる季節はずれの雪の街。若い頃など、もう30年以上も前のことだが、体が温まるにつれ、懐かしく、そして、現実のものとして体表から浮き出てくるのは何故だろう。そんな時に、隣から、容赦ない、カサブランカのあの懐かしい歌、As time goes byの鼻歌。しかも、見知らぬおじさんが私に歌ってきかせるが如く、最悪のシチュエーション。せっかくの旅が台無しだ。

思わず、手を伸ばし、岩の上に降り積もった雪を握って潰してみたが、小さな氷のように硬くなってしまった様は、濃縮された自分の心のようでもあった。もちろん、そいつの運命は、熱いお湯の中で消えてしまったわけだが、その湯に自分が浸かっていると思うと、少し滑稽でもあり、悲しくもあったのだ。

As time goes by.

“時の過ぎ行くままに”と誤訳されることが多いが、正しい訳は、“時が過ぎても”である。時が過ぎても、若いあの時の心のまま、転がっていたいものである。


00:00 | 投票する | 投票数(1) | コメント(0)