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2020/07/02

◎“もやもや”したもの◎

| by patho

脳血管造影検査で、特異な脳血管異常の所見が、煙のように“もやもや”見えることから、もやもや病(Moyamoya disease)の名称が国際的にも使われるようになったのは、日本人が発表した1969年の論文に端を発するわけだが、これひとつとっても、日本人にとっては、“もやもや”という言葉はしっくりくるのだろう。誰が何と言っても、もやもや、しているんだから、しょうがないが、この感覚は欧米人にはわからないことは、経験的に察知できるのだ。

研修医のころ、病棟での仕事が遅くなり、朽ち果てそうな2階建ての研究棟の片隅の、神経科の研究室に寝泊まりしていたことがしばしばあった。寝ると言っても、丸椅子を4つくらい並べて、器用に寝てみるわけだが、案の定、落ち着くわけもない。そんな夜中の空気の中で、あれやこれや、脳病理標本を顕微鏡で観察していた全く素人の研修医の目に、微笑みながら飛び込んできたものは、神経細胞の周りをとりまく“もやもや”した帯状の光景だった。ヘマトキシリン・エオジン染色でもボディアン染色でも、パッとした染色性を示さない“もやもや”した無構造な風情であったが、なぜか、不思議に綺麗な光景として、目を釘付けにした。同じものを観ても、何にも感じることなく、そのまま夜を明かしている自分だったら、今頃、もうちょっと世間的には“偉く”なっていたかもしれない。なぜならば、そのときに観てしまったものは、誰にとっても動かしがたい、無骨な実像(事実)そのものであり、一方、自分の活動を正統化する理論武装をして、虚像かも知れない仮想敵国と戦っている姿のほうが、何か“すごく”見えて、説得力があるからでもある。顕微鏡で観たものが“綺麗だ”、“不思議だ”と感じた気持ちがモチベーションなんですよ、と言ったって、うつろう人の気持ちには響かないのだろう。ただし、そのような情緒に心動かされる人のほうが、親しみを覚えるが。

観察していた脳の場所は、小脳の歯状核。疾病は進行性核上性麻痺だった。そのときは、病変なのか? 気のせいなのか? 素人に毛も生えていなかったので、判る筈もないわけだが、不思議な美しさに、“意味のありそうなもの“を感じ取ったことだけは確かである。ただ、そうは言っても、心惹かれた“もやもや”したものを、病理学的になんと表現していいのやら、気持ちも“もやもや”してくる。Greenfield’s Neuropathologyを調べても、どこにもそれらしいことは書いていないし、写真もない。やっぱり気のせいなのかと、もう一度顕微鏡を覗いてみる。

そんな日々を繰り返しているうちに、「神経研究の進歩」という由緒正しい医学雑誌に掲載されていた、「小脳歯状核のグルモース変性」を扱った(あとで知ったが)高名な泣く子も黙るS教授の総説に遭遇した。なるほど、同じ写真だな、と。グルモース変性は、grumose degenerationの和訳である。そのgrumoseは、辞書で調べると、植物の根が累々としている様、牛乳や血液が凝固している様、のような意味であり、ちょっとした塊のようなものを意味している、あまり馴染みのない形容詞である。わたしが観た“もやもや”も、観ようによっては、小さく淡い塊が集合したようなものでもあり、それはそれで、言い当てているようにも思えた。

その後、凝り性のわたしは(飽きるのも早いが)、小脳歯状核ばかりに注目して、歯状核神経細胞の変性パタンには3種類があることを計測学的に明らかにした。また、このgrumose degenerationの本体である“もやもや”は、プルキンエ細胞の軸索終末の発芽を思わせる超微形態変化であること、また同時に、歯状核神経細胞の変性も同時進行する、小脳遠心系の系統的な特異な病理変化であることを明らかにした。ただし、英文の論文にはなったとはいえ、欧米の教科書には、全く触れられていない病変であり、何か釈然としない“もやもや”は残ったままであった。

その小脳歯状核のgrumose degenerationが、Prof.Anzilが進行性核上性麻痺の研究報告論文(1969)の中で、ちょっと軽い気持ちで使ったgrumose degenerationという言葉が、後年、日本の神経病理を牽引していたS教授の引用によって、日本(邦文)だけで一人歩きした言葉であったこと、そして、それを知ったProf.Anzilが、それについて困惑しているという手紙をわたしがいただいたこと、さらに、その数年後にわたしがが偶然にも中脳黒質で見つけた、当時“名もない”病変が、実は、Prof.Anzilが記載したgrumose degenrationの本体とは全く別ものである、1900年代初頭にパリのDr.Tretiakoffが最初に記載した中脳黒質でのgrumose degenrationそのものであったことなど、思いもがけない事実を探し当て、結果として、昔すでに知られていたことと、今はもう忘れ去られたことの、点と点のあいだを結びつけて、時には匍匐(ほふく)前進しながら、時には脚を痺れさせながら、うろちょろしたのであった。


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