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2020/07/01

◎ 膨れている言霊 ◎

| by patho

医学部を卒業したのちの研修医1年目(1982)は、市中の総合病院の循環器、呼吸器、神経内科の混合病棟の新米スタッフとして、嵐のような忙しさに追いまくられる日々を、最初から最後の日まで過ごしていた。早朝から病棟を周り、午後は外来や検査の見習いようなことをして、夕方から胸部X線の読影、気管支ファイバー、心臓カテーテル、心電図などの勉強会。それが終わると、夜の回診をして、今夜は帰宅できるかどうか思案して、結果的に病棟にあった畳部屋で夜を明かす、という日も稀ではなかった。あるいは、少し早めに終わった日は、片道1時間半くらいかけて一旦帰宅して夕食をとり、1、2時間後には終電に乗って最寄り駅まで行き、タクシーを拾って病院に戻って夜を明かす、という日は、もっと多かったかもしれない。もっと要領よくできたはずなのに、新婚にありがちな“忙しさ”に酔っていた自分が滑稽でもあり、今振り返ると、一番嫌いなタイプの人間かも知れないが、その一部分の性根は、おそらく今も抜けていないのが、さらに恥ずかしい。

研修医2年目(1983)は大学の病理学教室の朝の光景から始まる。昨日の夜まで馬車馬のように働いていた生活が、一夜あけたら、あたかもNHK年末恒例の紅白歌合戦の直後に転ずる番組“ゆく年くる年”の冒頭の静寂のような空間。あくせく病棟に行くこともなく、じっとして顕微鏡で標本を観察する、静かな時間が朝っぱらからずっと続く。昨日まで、朝から晩まであくせくアクセクしていたのに、急に無重力空間にほっぽり出される。入局する意思を表明していれば扱いも違ったかも知れないが、半年後にはどこへゆくやらわからぬ、使い物にならない研修医は、訳知り顔の玄人集団のなかでは、邪魔者扱いにされるのが常である。

こんな静かな教室で、どうやって半年暮らそうかと思っていたところに、少し遠くのほうで、椅子に胡座をかいて座る体勢で顕微鏡を覗いていた、ちょっと強面の先輩が、今になって思えば救いの一言を投げつけてくれた。「みんな、よく判らないから、脳の標本を観るのが好きじゃないのさ。でさっ、君さっ、暇なんでしょ? だったら、脳の病理だけ勉強して、俺の症例の標本を観て、コメント書いてくれる?みんなのもやってくれると、君も大事にされるよ、あっはっはっ・・」 裸足に粋な雪駄を履いて、胡座をかいて椅子に座って顕微鏡を観ている素浪人風情の先輩のその一言が、その後の私の道程の入り口だったのかも知れないが、半年の病理学教室での研修の後、神経科で半年研修し、その後、またこの教室に教員として戻ってくるなど、誰も予想だにしなかった、もちろん自分も含めて。

便利な“変わり者”が来たということで、先輩から促されるまま(押し付けられるまま)、いろいろな症例の脳病理標本を観察することができた。たまに、寿司でも食べに行くか?と誘っていただき、どこへ行くかと思いきや、スポーツカーで横浜から沼津の寿司屋まで高速を飛ばす、ということが何度かあった。そんなこんなで、研修が始まってから多くの病理解剖の手伝いはしたものの、神経疾患の解剖症例はなかった。しかし、やがて3ヶ月ほど経った頃、オリーブ橋小脳萎縮症(olivopontocerebellar atrophy; OPCA)という臨床診断の症例の解剖を担当することになった。OPCAという疾病は、当時のいろいろな神経病理のテキストにも詳述されている疾患であり、その名の通り、オリーブ核、橋、小脳が変性する病気である。しかし同時に、線条体・黒質変性症(striatonigral degeneration; SND)という疾病において変性する場所である線条体、脳幹(黒質)などにも病変を認めることがあり、OPCAとSNDは違う病気なのか、同じ病気の範疇なのか(Oppehmeimerらが多系統萎縮症 Multiple system atropnyという名を用いて主張していたような)、という議論があることも、教科書には載っていたわけである。

このようなことを勉強しながら、標本を観察して所見をピックアップして、レポートにまとめることは、ビギナーにとっても比較的容易ではあったが、一応、先輩と一緒に顕微鏡を観てチェックしてもらうことは習わしであった。

一緒に顕微鏡を覗きながら、所見を説明していると、「この細胞、ちょっと膨れているんじゃないの?」と、観察している視野が大脳に移動したとき、とっさに先輩がつぶやくものの、OPCAという病気は(教科書的には)大脳の病気ではない。研修も3ヶ月になり、自分だけがたくさんの脳標本を観てきているので、「これだから素人は困る」と不遜にも心のなかで思いながら、「先生、OPCAという病気は大脳には病変はないんですよ、小脳や脳幹の病気なので・・」と返答したものの、「なんか膨れているな」と少しだけ不安になったことは、それから16年程経ってから、的中することになったのだ。

1989年、ロンドン大学精神医学研究所・神経病理研究室(Lantos教授)から、「OPCAとSNDに共通する病変としてオリゴデンドログリアの細胞体内に封入体がある」という研究成果が発表され、この2つの疾病は実は同じ病気(多系統萎縮症 Multiple system atrophy)である、ということの科学的根拠となった。この封入体は、glial cytoplasmic inclusion (GCI、邦名はグリアコイル小体)と命名され、やがて、GCIの構成蛋白がリン酸化αシヌクレインであることが判明し、シヌクレイノパチーという新しい疾病概念が生まれるなど、エポックを形成したわけだが、通常の染色ではほどんど目立たず、1990年代以降に汎用されるようになった特殊な染色であるガリアス(Gallyas)染色で明瞭に可視化することができる、きわめて特異な構造物であることも、後にコンセンサスが得られることになった。1991年頃、当時は比較的筆まめであった筆者は、GCIを発表したLantos教授に何度か手紙を書いては、あれこれGCIについて質問などを投げかけていたところ、「そんなに興味あるならば、いっそのことロンドンへ来てはどうか」というお誘いを受けて、翌年の11月に、家族を引き連れてロンドンへ旅立つことになったのである。

雪駄を履いて胡座をかいて顕微鏡を覗いていた粋な先輩が発した、病理学教室での研修の初日の一言がなければ、神経病理を専攻することもなく、やがてロンドンへ行くこともなかったかも知れない。一緒に顕微鏡チェックをしてくれたときに、識別が困難であった染色標本にもかかわらず、神眼で“膨れているもの”を見通したニュートラルな「つぶやき」が、そうさせるための必然の言霊のなせる技だったのでは、とは言い過ぎだろうか。最近、言霊を身近に感じるものとしては、きっとそうだったに違いないと思わずにいられない。“先入観のない者こそが、聞こえぬ声をとらえることができるのさ”と、右足だけを器用に胡座に折り畳んで、あの時と同じ赤いスポーツカーをモナコグランプリのように、あの世でもぶっ飛ばしているに違いない。


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